【寺修行日記 – 徒然なるままに – 第2章 】

寺修行
K-Low
K-Low
ハロウィンに乗っかる大人なんて大キライ!
仏-Lowです☆

ポケモンGo直後並みに街中にモンスターが溢れているため、怖くて渋谷にも行けませんがそんなモンスター達が溢れるこの国はとても安全で幸せな国なんだな~!

と、仏の心で見守ると決めた浮かれた大人代表K-Lowです!!

というわけで寺修行日記第2章のスタートです。

床との会話が始まる

本格的な修行のスタート

第1章で無事皆さんに懺悔をした僕の修行がいよいよ本格的にスタートした。

今回僕が入山したお寺は京都にある臨済宗の宝泉寺というお寺だった。

まずはお寺での基本的なスケジュールというと掃除、食事、お経、作務と呼ばれる掃除や農作業、そしてそれ以外は座禅という一日だった。

食事やお寺内では様々な作法が事細かにあり、それを守られていないと常駐のお坊さん(一休さんの様な本格的にお寺で修行されてる方々に叱られる。

その都度、注意された方はご指摘頂いた感謝を込めて

「ありがとうございます。」と、言葉にして伝えなくてはいけない。

正直学生の頃からあまり優等生ではなかった僕だが学校でもこんなに叱られた事はなかった。

本当にそれ位、毎日毎日…

いや、毎時間毎分の様に叱られていた。

それと同時に普段の生活の中であんなにも「ありがとうございます。」と感謝の言葉を発した事も僕にとっては初めてだった。

そしてお坊さん方のご指摘は声は大きく厳しい言葉ながらも、どこかに愛を感じる言葉が多かった。

怒られるのが人一倍ニガテな僕だったがその点は素直に受け入れれる言葉達ばかりだった。

一日の大半を占める座禅は禅堂と呼ばれる30畳程の部屋で行われる。

一人分のスペースは畳み一畳。

修行中はこの畳み一畳が自分のパーソナルスペースの全てとなる。

この一畳の中に荷物を置き、お経や座禅用の座布団、そして布団が置かれる。

すぐ両隣にはまた違う修行者達が同じ様に並んでいく。

座禅、読書、お経、睡眠…

全てこの一畳の畳みの上で過ごす。

【起きて半畳、寝て一畳】

ということわざ通りその1畳が全てとなった。

座禅は1セット30分で行われる。

30分経過すると希望する人はそっと座禅堂を出て5分間だけ椅子のある部屋で足を崩すことができる。

ただ、足を崩すことができると言っても30分の座禅はかなりキツイ。

ものの10分位で足には痺れと痛さでたまらなくなる。

30分を知らせる鈴の音が聞こえるが立ち上がろうにも足の痺れと痛さでなかなか思う様には立ち上がれな
い。

立ち上がれても足の痛さで歩く事すらままならない。

子供の時に足が痛いと引きづりながら必死でゆっくりと歩いていた、曾祖母の気持ちを理解した。

本当に100歳の老人並みのスピードでした歩けない程に歩くという行為そのものがキツイ。。

修行者の中には一度崩すのがキツくて逆にそのまま座禅を続ける人も何人かいた。

座禅はそんな30分セットを昼間に2回、夜は3回、そして食事や睡眠前に15分の小座禅を行う。

純粋な座禅だけの時間としては1日3時間~4時間程。

と言ってもそれ以外のお経を読む時、食事の時、読書の時、和尚さんの法話の時と他の修行は全て正座で行

われるので掃除と睡眠以外の一日はほとんど姿勢を正し畳みの上で座っていることになる。

そして座禅中は【結跏趺坐】と言う特殊な足の組み方で行われる。

体が固い僕はこの足の組み方からかなり苦戦をした。

先ず、左右どちらかの足を太ももの上に足裏が見えるようにあぐらをかく様にのせる。

それができたら次は反対も同じ様に太ももの上にのせる。

簡単な様だがこれが本当にキツイ。

お相撲さんのまた割りと同じ様に固くてのせられない足を両手を使って無理矢理もっていく。

この時点で激痛が走るがそれすらも我慢し声は出せない。

当然逆の足も同じ様に我慢をしてのせる。

その状態で姿勢を正し、目線は1メートル程先に落とし目を開けたまま後はひたすら座る。

間違っても目は閉じてはいけない!

そして体も動かしてはいけない。

音も立ててはいけない。

その状態のままひたすら30分…

果てしなく長く感じる時間と足の痛み、そして自分自身との対話の旅が始まる。

時間の流れと平行し静寂と呼べる程の無音の空間が広がる。

首を少し傾けただけでも

「動かない!」とお坊さんの声が響く。

誰かがツバを飲み込む音すらも無音の禅堂内では響き渡り、

「音を立てない!」とまた響く。

次第に集中していく中、何の音もなく、人の動きや気配も感じなくなってしまう程の空間の中、ちょっとし

た体の動きや呼吸の音、それら身体的な仕草全てをどこかから見られている様な緊張感。

そしてピリっとした空気が漂う中時間がくるまでただただじっと座る。

目線すらも一度決めると動かせない為、僕は床のちょっとしたシミに毎回目線を置いていた。

確か2、3回目の座禅の時だった。

足の痺れと痛み、そして気が遠くなるようなぼーっとした意識なのか研ぎすまされた集中の中なのかあやふ

やな感覚の中でそれは起こった。

いつの間にか床のシミは人の口の様な形になっていた。

そしてそのシミは人間の口の様に動きだず。

ただ動いているのではなく、聞こえないが何かをしゃべっている…。

必死に何をしゃべっているのかと見つめるが何をしゃべっているのかまでは分からない。。

ただ、そのシミは何かの言葉を必死でしゃべるように動いていた。

それからはほとんど毎回の様に、座禅中そのシミは僕に向かってしゃべりかけてきた。

ただ、残念なことに最後の最後までそのシミがしゃべっていた言葉は分からなかった…。

第3章に続く…